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初代「カプチーノ(EA11R)」

ヘルメットを被らずに、バイクに乗れればいいのに。

高校一年の夏休み。
河原でみんなで原チャリを転がしていて、公道を堂々とノーヘルで走ってみたいと思った。当時、バイクといえば特攻の拓が大ウケで、CB-1やスーパーフォアなどのネイキッドが流行り、車と言えば中嶋や亜久里が日本人ドライバーとして参加し、セナとプロストの対決、つまりF-1がすべてだった。
ゲーセンではバーチャレーシングかストリートファイターIIをやりまくり、夢はゲーム会社に就職。
斜視で遠近感の無い自分では、車の免許は取れないと思っていた。

浪人時代。
ろくに勉強もせずに、ゲーセンに入り浸る。
毎日高校時代の同級生か、予備校の同級生とゲーセンに行く。
そんな日課を重ねていたある日、何気に交差点で止まっていた車を目にした。その車は、軽自動車より遥かに小さく見えた。屋根が無かった。まるでカートのようだった。友達全員に聞いたけど、どこのなんという車か判らなかった。ただ、すごいと思った。声に出して言った。
「こんな車が公道を走ってていいんだ」
初めて、車の免許を取りたいと思った。

就職三年目。
免許を取りにいった。所内教習は速度超過で落とされたが、それ以外は順調にいった。
車を選ぶ作業に入っていた。
浪人時代に見た車はイメージだけで、どこのどういう車か結局判って無かった。職場の同僚二人に、NA6Cロードスターと流面系セリカを買い取らないかと言われた。でも、食指が動かなかった。
この当時の俺の家は、自宅の駐車スペースが軽自動車ぐらいしか入らなかった。それも整地して、だ。
正直、こんな難しい所に縦列で入れるのは、免許取り立ての俺には入れるのが嫌だった。もう一つ不安もあった。どうにもならないほどの方向音痴。歩いてなら自由に方向が変えられるけど、車ではそうはいかない。これは自動車教習時代に嫌というほど実感した。

でも、軽自動車で欲しい車は無かった。アルトワークスはなんか嫌いだった。他の走りそうな車もなんかかっこが嫌だった。パジェロミニは高かった。座ってみていやになった。

ある日、中古車雑誌で軽自動車のスポーツカー特集、というのをやっていた。
そこで、浪人時代に見た車を見つけた。
スズキのカプチーノ。
へぇ、日本車だったんだ。
特に限定車の青色が気に入った。なんかシャチっぽかった。たぶん、それだけの理由だったと思う。
スズキ自販の中古車ディーラーにお願いし、他府県から取り寄せてもらって試乗させてもらった。運転するだけでいっぱいいっぱいだった。ターボの加速感に圧倒された。視界の低さにびっくりした。教習所のクレスタとは何もかも違っていた。そんないっぱいいっぱいの状況だったけど、まるであつらえた服のように収まりのいい感じがして、これが俺の車なんだ、と思った。当時、雑誌に載っていたような変な交渉術を試してみたように思う。ディーラーにとっては嫌な客だったろうな、と思い出すたびに苦笑する。
でも、乗ってすぐにこれだけ言った。
「これ、下さい」
それから交渉したって遅いのに。

それから車が来るまで二週間ほどかかった。誕生日に合わせて納車してもらった。納車してもらったはいいけど、駐車場から出すのが怖くて、数日ほっといていた。もしかすると一週間以上かもしれない。それぐらい、当時の俺には駐車場と、そこから出る道路がタイトだった。

最初は、真夜中の1~4時頃を選んでドライブしていた。どんなに道路に出すのがまごついても、恥ずかしく無いように。事実、あちこち擦った記憶がある。10cmも旋回を失敗すると、ちょうど意地悪な位置にあった電柱に擦ることもあったので、本当に車庫の出し入れは嫌だった。
擦るたびに、悲しくなった。夜中にドライブしていたのには、もう一つ理由があった。地元の道をありったけ走って、とりあえず迷子にならないようにしたかった。でも、車で行ける範囲はとても広くて、結局覚えられなかった。高校時代の同級生がよく同席してくれたが、そんな時は奈良でも丹波でも滋賀でも行けた。

数ヶ月がたって、他の同級生と天保山の方へドライブに行こう、と言われた。
昼間に走らせるのはほとんど初めてだったのですごくドキドキした。
路駐すら要領を得ず、迎えに行ったものの、待つのが嫌だった。
横に乗り込んでもらうと、ちょっと落ち着いた。
昼間に見る世界は、なんだかすごく広くて、オープンにしていると気持ちよくて、初めて良さを実感した。
でも、阪神高速はとんでもなく怖くて、左右から車が入り乱れて、怖くて泣きそうだった。
帰りは全部、同級生に運転してもらった。行くだけで気力がつきていた。

ネットの友人たちが家に遊びに来ていて、2グループになって三重の友人宅に行く話になった。おだてられて車でついて行ったはいいが、帰りのルートがどうしても理解できず、結局三重の友人に同乗してもらって、京都までナビをお願いしてしまった。今から思えば、すごく単純なルートだ。でも、当時の俺には100~150kmという距離だけでもう一杯一杯な気持ちだった。
そして、カーナビを買おうと決めた。

カーナビは、自分で取り付けられるものに決めていた。
理由は割と単純だった。近所のオートバックスはすごく駐車場が出し入れしにくて、交通量も多く、あんな所に昼間に行くのは絶対嫌、だった。
この頃になると、一つの自分的イベントが発生するたびに、鬱になっていた。
なんで車なんて買ったんだろう、と。夜中にこそこそと出て、片側一車線の道を選んでドライブする。峠道の運転ばかりが上達していった。車を洗おうにも、車庫から動かすのが億劫で、それになんだか気恥ずかしくて、ずいぶんとさぼっては適当に水洗いしていた。洗い方もよく判らなかった。それまで家に車がなくて、付き合い方のすべてが初めてだった。当たり前にやってる事が当たり前ゆえに誰にも聞けず、ところが車が珍しいので触っていると近所の人たちはみんな見ていって、そこであたふたとやっている姿を見せるのが、すごく嫌だった。

カーナビはデルナビという九州松下のナビにした。最初は助手席からバーを出して取り付けていたけど、助手席に座る人が苦しそうだったので、すぐにダッシュボードに取り付けるタイプにした。これは本当に、目から鱗だった。現在地が判るだけで、こんなにも安心するんだと思った。正直、ナビゲーション自体はどうでも良かった。適当に走ってても、間違った所を走ってても、それがどこか判るだけで十分だった。
深夜に一人で走る場所が広がった。
でも、やっぱり昼間は走らなかった。

そのうち家が引っ越しになり、
そうして一年半が過ぎ、
俺は仕事のストレスで胃腸を患った。
この頃になると、車には見向きもしなかった。思えばストレスが増えるだけだった。
入院から療養、職場復帰までは数ヶ月もかかった。
最後は給与が出なくなって、このままじゃ生きていけないと思って無理やり復帰した。
入院から療養していた頃、たくさんの友人知人が見舞いに来てくれた。
特にネットの友人になると、三重や長野の方からも来てくれた。
AZ-1で来た長野の友人は、そのままストレス解消と言ってドライブに連れ出してくれた。
三重や名古屋の友人は、名古屋モーターショウまで引っ張ってくれた。シビックtypeR乗りな友人とは、人数オーバーとかで、リアトランクのスペースに座って乗った記憶もある。患者をこんな所に乗せるのか、とずいぶんと楽しませてもらった。

職場復帰を果たし、晴れて外に出れる様になって、数ヶ月ぶりにカプチーノのキーを捻った。
一発でエンジンがかかった。
涙が出そうだった。
フロントウィンドウは泥やホコリで前も見えなかった。
これからは、ちょっとずつでも昼間も走る様にしよう、と思った。

それからは、ロングツーリングが一つの目標になった。長距離を走れば、嫌でも昼間にも走る事になる。その頃、道の駅というのがいろんな場所に設置されているのも知る様になり、長距離を走ってもなんとかなるという安心感に繋がった。
まずは鳥取の友人に会いに行ってみよう。そう思って、片道300kmの距離を走った。ひたすら国道九号を走り抜けた。途中でオープンにして走ったりもした。自分一人でオープンにして走ったのは、これが初めてだった。市内の渋滞道路とは違って、とても気持ちが良かった。丹波から日本海側を走るのは、この後、自分がツーリングをする上で趣味の道になった。

山陰側に慣れると、次は新潟は小千谷の友達に会いに行くのが目標になった。新潟は片道500~600kmもある。さすがにすべて下道という訳には行かなかった。でも、小千谷には美味い蕎麦が多いと聞いた。この頃になると、その道を走ってみたい、そこの名産を食ってみたい、といういろんな目標が出来る様になった。そうして走っていくたびに、カプチーノとの一体感を得られる様になった。ドライビングの一体感ではなくて、一緒に旅をしている、という一体感だった。
退院してからの2年ほどで、箱根や戸隠、小千谷は年に2~3回も足を運んだ。山陰地方は回数も覚えていない。一日で山口県は秋吉台を往復したりもした。きっちり鍾乳洞とカルスト台地は観光してきた。出発から24時間以内で帰って来たから、一日、なんてムチャな話だった。一週間で3000kmを走り、オイル交換に行ったら、店の人に驚かれた。

それでも、やっぱり近所への昼間の運転は苦手だった。
この苦手意識だけはどうしようも無かった。旅先に出てしまえばなんてことは無くなるのが、悔しかった。それと、車に対する不満も出てきていた。ロングツーリングを重ねると、どうしても車内の騒音が苦しくなった。100km/h当たりで、もう音楽が聞こえなくなるぐらい音が激しくなる。一日で500km以上のツーリングを数日こなすと、帰りの道中は耳がジンジンしていた。シフトノブの振動もけっこう激しいので、必要な時以外はシフトノブを触らなくなった(これはいいことらしい)

もう一つの転機は、三重の人たちと夜中にバーベキュー(と敢えて言っておく)をした時の事だった。ビート乗りの人と意気投合し、カプチーノとビートでバトルになった。ビートの性能を考えれば、後追いのカプチーノが負ける事も無いのだが、ルートを知らないハンデもあって、いいバランスでの走りとなった。
でも、そんな事はどうでも良かった。誰かと一緒に本気で走って、カプチーノの本当の力というのを初めて理解した気がした。自分が思っていた所よりずっと先に限界があるようで、もっと先、もっと先を、というように攻めて行けた。
その後、WRX RA乗りの友人にドライブをさせてもらったが、こちらはカプチーノやビートが必死になって走り抜けたルートを、苦もなくもっと高いアベレージで、それこそリミッターがガンガンかかるような速度で走っていけた。しかも怖さも何も無かった。ある意味、バトルの後で感覚がマヒしていたのかもしれなかったが。信号待ちで止まったら、当時は雨だったため、フロントのキャリパーから前が見えなくなるほど湯気が上がってきた。車の性能が走りを左右するというのも、実感した。でも、これは同じ車で力量が違わない無い限り、誰でも勝てるような気がした。それほどのスーパーウエポンだった。

そうして、カプチーノをもっと好きになり、もっと早く、楽しく走らせる為にチューニングしてみたいと思った。
リミッターを解除して、ブレーキパッドを交換した。
そんな12月24日未明。
峠で、自爆した。

峠の登りでヘアピンだった。10kmも出てない状態で、ゆっくりと旋回をした。その時、後輪が何かに乗った感じがして、いきなり後輪が抜ける様に滑り出した。フロントがどんどん谷側に向いていき、このままでは落ちると思った。ブレーキは踏めない。踏めばそのまま滑り落ちると実感した。落ちて転がれば屋根の弱いカプチーノは潰れるだろう。24日は約束もあった。死んで連絡が取れないのはマズい。こんな夜中に家族に連絡されるのも。ただそれだけだった。怖いというより、とりあえず迷惑だ、とだけ思った。ハンドルを山側に切り、アクセルをいったん抜いて、そこから踏み直した。トラクションがかかって一気に山側へスピンしてくれた。回りきって助手席側から山肌に当たる。うまくやればあたらずに止まれる、と思った瞬間、山側の側溝に前輪がハマりそのまま宙を浮く様に飛んでフロントが大破した。シートベルトをしていたにも関わらず、俺は額をハンドルに強打した。
語れば長いが、一瞬の出来事だった。エンジンが止まったので、なんとか抜け出せないかとキーを捻ると、エンジンが怒った様に吠えた。あわてて切った。怒られた気がした。
額が切れて血が流れていたけど、自分では判ってなかった。場所が悪く、PHSでは連絡が取れなかった。たまたま後ろを走ってきた車の男性に携帯で連絡してもらい、対抗車線を走ってきた車の女性に介抱され
た。血で汚れるから、と断っても、気にしなくていいからとハンカチで額を押えてくれた。
ただただ、申し訳無かった。
そうしているうちに、救急車がやってきて、運ばれて行った。

カプチーノは全損扱いになった。
修理しても真っ直ぐ走らないと言われた。
レッカーしてくれたディーラーへ荷物を引き取りに行き、カプチーノを見て、呆然とした。フロントが半分ほどになっていた。ダッシュボードも歪み、もう少しエンジンが押し込んでいたら、足が潰れていたかもしれなかった。
自分の未熟な運転のせいで、仲間を失った思いだった。
それなのに、自分はかすり傷だけですんだ。
助けられたと思った。

回りから、普通の車に乗ってくれ、と言われた。
自分もそうした方がいいと思った。
修理を諦め、手元に車両保険の保険金だけが残った。

後から思う。
仲間ではなく、分身を失ったのだと。
自分と向き合うための鏡のような車だった。
苦手な所は見たくない姿でもあり、上手い所は自慢したかった。
何度も買った事を後悔し、何度もこの車で良かったと思った。
ただ、どんな時も自分の車だと言えた。
飾らない等身大の姿だった。
成長した分、返ってくる車だった。
よく表現されるような、恋人のような車では無かった。

2001年、1月。
次の車を探し始める。

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コメント

興味深く読ませていただきました。もう今から10年前の記事ですから、今はどんな車に乗られているのかなと想像しました。先日私もカプチーノを(事故ではなくエンジンブローでしたが)逝かせてしまいました。そもそも25万キロも走っていたカプチーノだったので、まわりは「新車をかいなさい」と強く勧めたのですが、結局「登録済み未走行車」の軽が買えるぐらいの費用をかけて、エンジン積み替えからすべてやりました。今、慣らしの最中で、やっぱりカプチーノでよかったと思っています。自分の分身っていう言葉は、響きました。定年までのりつづけます。

投稿: セッキー | 2010年6月 9日 (水) 01:10

コメントが大変遅くなりすみません。
まさか以前のカプチーノの記事にコメントを頂けるとは思ってもおらず…ブログのチェックが甘すぎました。

カプチーノは(カプチーノに限らずでしょうが)好きになるとなかなかに手放しがたく忘れがたい車で、いまだに私もカプチーノは大好きです。そう言いながらも私は二度共に手を放してしまいましたが、今の素直な心境として、セッキーさんのようにエンジンを載せ換えてでも乗り続けることは羨ましいと思っています。私のような事故はともかく、走り続けていけばいずれ痛む箇所がでるのは必然ですし、治せばまた走り続けてくれます。結局は乗り手の心境や環境/金銭的な問題で直したいと思うかどうかの問題ですものね。大切に猫可愛がりする車では無いでしょうし、元気よく今のカプチーノを走らせてあげて下さい。走らせて貰っている、かもしれませんが(笑) 自分の身の丈が少し伸びるような気持ちにさせられる車ですものね。

残念ながら私は、Keiワークスを最後に車を手放してしまいました。金銭的な事情もありますが、カプチーノのような車でないとそもそもドライブしたくない人間だという事がよく判ったので。またカプチーノのような、ただ運転したくなる車と出会えるまで無理に探さずに待ってみようと思っています。カプチーノも元々は学生時代に偶然、交差点で見かけて、それから車名も知らずにずっとあの車に乗るなら免許を取りたい、と思っていたので…そして乗ってみて自分の感覚が間違ってないと思ったので。そういう出会いがあるまで待っていいかな、と(笑)

もう二ヶ月以上も前ですし、読まれていないでしょうが、セッキーさんとカプチーノが長く楽しく乗り続けられますように。

投稿: 天々 | 2010年8月19日 (木) 20:34

突然のコメント失礼します。

拝見いたしまして、悲しくも大変感動しています。

私は、カプチーノを現在所有しており免許取得時から、かれこれ7年ぐらい乗り続けています。
この車にした理由も、高校生の時に私の前を走り抜けていった黄色のカプチーノが忘れられなかったからです。
若い女性の二人乗りで一瞬ですが、走り去った姿がただただ眩しくイイなと思ったコトを今でも覚えています。

手にしてから、イロイロなことをこのクルマから教わりました。
この7年自分の未熟な運転で、色々ぶつけたり事故したりしました。
その度、費用以前に自分の未熟でこの車が傷つくことに、
いつもなきそうな位悲しくなり後悔します。
それは、このクルマがモノ以上の存在になっているからだと思っています。
思いどうりにシフトやコーナーリングが決まれば、クルマに認められたような気持ちになりますし、
少しでも異音に気付けば「もっと、ちゃんと整備しろ!」と怒られてるような気持ちになります。

走り続けているかぎり、何時かはこの車を失うトキが来るでしょう。
それは金銭面かもしれませんし、何等かの事故での全損かもしれません。また、もうガソリン車の時代が終わるのかも知れません。

それでもいづれくる最後の時まで、コイツと今日も京都の街を走ります。

拝読し、書かれていることにとても共感でき感動しましたので、真に御迷惑で勝手かと思いますがコメントいたしました。

それでは、失礼します。

また、自分自身と言えるクルマに出会われることを願って。


投稿: シュウ | 2010年11月27日 (土) 03:36

コメントのお返しが遅くなってすみません。
自分のブログながら、相変わらずきちんとチェックできていませんでした。

カプチーノは本当にいろんな人に長く愛されている車だと痛感します。たくさんの車種はあるのですが、気持ちが乗り続ける車というのはそれだけ希有なんでしょうね…かくいう私も未だにカプチーノ以上の存在が無いわけなのですが。
実際に未だに元気に走っているカプチーノが多いと(好きなればこそ)気になっています。

コメントに書かれていてその通りだと今でも思うのですが、車に動きを認められるというか、車の動きと自分の動きが噛み合ったときのフリクションが消えたかのような気持ちよさは格別ですよね。これはスピードレンジに関係なく本当にそう思います。

長く乗り続ける経験がカプチーノとの距離をさらに縮めていくと思います。それを今も体感できるシュウさんは羨ましい(笑)
未だに私はカプチーノ基準です。乗らなくなって余計にそうなりました。

これからも苦楽を共にする日々を願いつつ…。
コメントありがとうございました。

投稿: 天々 | 2010年12月26日 (日) 18:45

文を読んで感動しました。自分も去年の4月にカプチを買ってもうすぐ1年になりますが、これからも大事に乗り続けていきたいです。
もう一度カプチに乗ってみてはいかがですか?delicious

投稿: だい | 2011年3月 9日 (水) 18:44

コメントありがとうございます。
古い記事ですが、未だこうして読んで下さる方が居て、とても嬉しいです。
そしてそのつど、カプチーノがまだ現役で、まだまだ新しい出会いがあるのだな、と。その息の長さに思わず頬が弛みます。

コメントを頂いた時につい自分でもこの記事を読み返すのですが、いまでは文体が変わりすぎていて、気恥ずかしい限りです。でも、大切な時間と大切な記憶も表に出してくれます。カプチーノと共に過ごした時間は、乗っている時も乗っていない時も、自分に関わって成長させてくれたのだなとも思います。
カプチーノとの日々を思い出すと、今でも肩の力が抜けて自分を等身大にさせてくれます。良いところも悪いところも自分なんだな、と。

いま、新しくカプチーノと出会えたドライバーは羨ましいです。カプチーノを見かけると、いまだにドライブする感覚が蘇ります(笑)

だいさんがこれからもカプチーノとの良い日々を過ごされますように。私みたいな思い出語りはあとから出来ますし、現役のだいさんはぜひともカプチーノとの今を大切にして下さいねhappy01

投稿: 天々 | 2011年3月18日 (金) 03:01

カプチーノ、いいクルマですね。
バブル時代の落とし子、と言われるカプチーノに、かれこれ18年乗っています。

その間には、擦ったりブツけたりがいろいろありましたが、その都度修理してきました。
中古で買ったとき、42000キロくらいだったのが、今は21万キロを超えています。

いつまで乗れるか分かりませんが、4歳になる息子が免許を取るときまでは維持しておきたいと思っています。

投稿: まこまこ | 2012年8月 8日 (水) 19:45

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