四代「アルトワークスRS/R(CS22S)」

どこにでも行ける性能を。

春、車選びは難行した。
全長、4m以下。
出来れば35万まで。多くても50万ぐらい。
この縛りが重くのしかかる。

板金屋さんが外車を専門に中古販売もしているので、自然と外車にも試乗させてもらう機会が多かった。

ゴルフ3ドアの5MT車。どっしりとして面白かった。でも食指が動かない。
パンダ・セレクタ。高速道路走行中に、キャンバストップが外れて飛んだ。さすがイタ車と関心した。
プジョー106SXi、楽しい車だった。でもwebで調べるほどに修理と維持費が心配になった。
ダイハツ・シャレードデトマソ。レカロシートは惜しかったが、食指が動かなかった。
左ハンドルは苦にならなかった。左耳が聞こえないので、むしろ助手席の人と話をするには好都合だった。
ただ、パーキングチケットを取る様な場所だけは辟易した。行動力が増した事が逆に仇になっていた。

他にも10を超える中古車を見に行き、でも買う気にならなかった。
もう、何が欲しいのかさっぱり判らなかった。
じゃあ、と思って、ちょうとタイミング良く出たスイフトスポーツの新車を見に行った。カプチーノでお世話になったディーラーだ。整備の人は「ありゃ、見つけちゃいましたか」と言った。営業の人は「とりあえず峠に行きますか」と試乗の予約を入れてくれた。試乗の当日はちょうど新潟から友人が来ていて、営業の人と三人で走りに言った。エンジンはヒュンヒュンと周り、ハンドリングはそこそこに手応えもあって、楽しかった。ABSのかかりが早かったが、ABSを堪能したのはむしろ俺より新潟の友人だった。面白い車だったが、でもローンを組む気になれなかった。それは、ローンを組んで付き合う車だと思えなかったからだ。これが本音だろう。いろんな理由を付けて、買うか買わないかを判断したが、結局は、自分の車に思えなかったのだ。それすら当時は判らなかった。
ただただ、迷走した。

夏。
それまでにレンタカーでのツーリングも経験したが、つまらなかった。
とりあえず自分の車が欲しくて、一台の車をネットで見つけた。
アルトワークスRS/R。4WDだった。エンジンは高回転ユニットのF6A。シートはレカロだった。価格は込みで35万。全てが条件にハマっていた。初代を買うときにアルトワークスは嫌だと書いたが、それはこの車よりの後の型だった。この方はダッシュボードもなんとなくカプチっぽくて(パーツを共用している部分が多いのだから当たり前だ)許せた。
今思えば、カプチっぽく、しかもフルリクライニング出来て、4WD、という事が全てだったかもしれない。
中古屋に行き、試乗して、悩んだ末に、買った。
最後に決めた理由は「寿命で終わる車が欲しい」だった。

手に入れたワークスは、とにかくステアリングが重かった。塗装もへたっていて、どうしようも無かった。コンパウンド入りのワックスで磨いたら、それでも見違えるほど綺麗になった。そして、パンチングの痕が嫌と言うほど出てきた。
さっそく新潟の友人と岐阜で落ち合い、白川郷にある道の駅でぼんやりと車を眺めていて、友人から前後のタイヤの銘柄
違う事を指摘された。しかも、タイヤが標準より太かった。径も大きかった。笑ってしまった。高速を利用したロングツーリングでは、80km/h以上で空気抵抗が大きくて、運転しにくかった。ダルい車だと思った。
近所への行動は赤カプよりも気楽に出来た。見やすく、大きさも把握しやすい。しかしこの車でツーリングに行く事は極端に減った。ドライブが楽しくない。
何より、やれた感じが恥ずかしかった。
それでもあちこち乗り回しているうちに、ブローオフバルブが機能する様になった。オイル交換を頻繁にしてやるとエンジンも回るようになり、タイヤはスタッドレスに交換してから、ナローだがハンドルが軽くなって運転しやすくなった。
だんだん本来の性能を取り戻していった。電装系は自分で整理し、シガーソケットのユニットを取り外してDINを2つ増やし、ETCも自分で取り付けた。
今までの車の中で一番使い勝手は良くなった。
用事を済ますのに乗る事は増え、しかし一年が過ぎてもツーリングに行く回数は増えていない。

そして二年目の冬。
車検を迎える夏までに、車を買い換える事を決めた。
2月から車を探し始め、未だに車は決まっていない。
さらに選ぶ車は多岐に渡っている。
外車を乗ってみる機会も増えた。
むしろホットハッチなら外車の方が多かったし、性能も良かった。

たぶん、この二年ずっと車を探している。
二年の間にお金も溜めたが、溜めた理由も車の為だけでは無かった。二年前に赤カプの清算をしたとき、自分に貯金が無い事を恥じたのだ。これでは何もできない。今の仕事について、本当に宵越しの金を持つ事を嫌う気持ちで散財をしてきたが、さすがにそれでは駄目だと思った。
まず、この仕事が10年続くさえ思ってなかったし、その気持ちは強くなる一方だ。
車は好きだが、それだけで生活を終えるつもりもなければ、そうしてもいいと思える車も無かった。
ただ、車でツーリングすることは好きだと思い続けた。
その為に必要な車と思うほどに、何を買うか判らなくなる。

そうして、今年のGW。
東京のホテルで腰を痛めて、友人たちにティアに参加した。
そこで手にした唯一の同人誌。
そこで、自分が免許を取った理由を思い出した。それは、今まで思う事も無かった。
カプチーノに乗るために、俺は免許を取った。
あぁ、そうだったんだと。
理屈で買ったわけじゃ無いんだ。

同人誌で扱われた車のパンフレットに、こういう言葉がある。
「このクルマを手に入れるほんの少しの勇気を持てば、きっと、だれもが、しあわせになる。」
ユーノスロードスターが発売された当時のキャッチコピー。
理屈で勇気を無くしてるのが、今の俺だと思った。

赤カプチーノは清算と書いたが、アルトワークスRS/Rは気づきだと思う。オープンカーでは出来ないいろんな事がやってみたいと思い、そのいろんな事と引き換えに、一番やりたかった事を捨てた。実は、アルトワークスを買った事は後悔していない。あるいはアルトワークスが別の何かであったとしても、後悔はしていないだろう。持ってみないと、きっとずっと気づかなかった。これは、カプチーノやロードスターに乗り続けていたら、+αを求めて、一番大切な事に気がつかなかった。今はそう言える。
だからこの11年オチのヤレたアルトワークスには、本当に感謝してる。

2005年、5月。
まだ次の車は決まっていない。でも、次の車は胸を張って「俺の車」と言える車にしよう。
だからもう少し、よろしく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

三代「カプチーノ(EA21R)」

絶対後悔しない車選び。

この三代目になるカプチーノは、周りの人たちに「本当に車の買い物か?」と言われる買い方をして、アッと驚かせ、家族を呆れさせて、しかし自分一人は幸せだった。
この当時、というか現在もだが、実は買って良かった、という買い物をしたことがほとんど無い。車やパソコンのような高いものに限らず、損得や使い勝手を事細かに考えては、結局自分が欲しかった理由、理由と言うより素直な自分の気持ちを忘れてしまい、買ってから何か違う、と気付くのだ。
酷いときは買ったまま袋から出さずに捨てる品物もあるぐらい、状況は悪かった。
そんな状況下で、このキャンディレッドに塗られたカプチーノだけは、胸を張って「買って良かった」といえた。それは、車の程度がいいとか、高年式だとか、チューニングが優れてるとか、そんな所とはまったく別の次元で、「俺の、見つけた」と言える、そんな車だった。

細かくチューニング内容を書くと、

スズキスポーツ N1コンピュータ
ARC インタークーラータイプIII
ハーフウェイ インタークーラーパイプ
スズキスポーツ コンプリートサスペンションキット(五段調整)
APP ステンメッシュブレーキホース
エンドレス ブレーキパッド
スズキスポーツ 6点式ロールバー
永井電子 ウルトラプラグコード
USレーシング フロントバンパースポイラー&フォグ
柿本改 マフラー(車検対応)
スズキ純正 トルセンLSD
スズキスポーツ フロントタワーバー

と、これだけのチューニングがしてあった。
さらにホイールはワタナベの8スポークに変わっていた。購入時に交換したのはVRリミテッドから引き継いだナルディのステアリングとJVCのMP3対応オーディぐらいだ。
知ってる人が見ればすごいと言える内容だと思う。
馬力は80~90psぐらいか。

この車でさっそく、小千谷の友人経由で福島の猪苗代湖まで行ってきた。友人は「黙って曲げると曲がらない車」と評した。サスを硬めにセッティングすると荷重移動を起こしにくく、ドアンダー傾向になった。慣れるとステアリングの角度をアクセルオフを同時に行う事で曲げられる様になったが、とても峠どころか一般道路を乗りこなせなかったので、結局サスは柔らかめの2にセットして乗っていた。高速道路では80km/h以下か、ぬあわkm/h以上でないとエンジンからの振動が激しくて長時間乗っていられなかった。その変わり、ぬおわkm/h以上の連続航行を可能にするとんでもない車になっていた。トバすほどにハードなセッティングは生きてきた。
尼崎の友人は1600ccのメカチューンなみのパワー感と伸び、と評して嬉々として運転していたが、三重の友人は身長が高すぎて、ヘッドレストが後頭部を、ロールゲージが額を固定するという危険極まりないドライビングポジションとなり、最初の信号でブレーキを踏んで「ゲッ」と言ってから、信号があるたびに恐々としていた。車は非常に気に入っていたが、乗る人を本当に選ぶ車だと思った。特にロールゲージによる狭さは、それまで乗れていた人たちが半分に削られた。これでメットを被ってサーキットを走る、なんて想像できなかった。
冬、大阪の友人を拾って、名阪経由で三重に行く事になった。名阪は雪が積もり始め、リアが簡単に滑り出した。マジでヤバいと思った。隣に座っていた友人は「うまいもんっすね」と言っていた。いや、一歩間違ってたらガードレールに突っ込んでるんですけど、とは今は言えなかった。

冬になると、エンジンが突然ストールする癖が出だした。どうも大気密度かなんかが合わなくてエンジンストールするようだ。赤カプを買ってすぐに顔を出したディーラーに持って行くと、整備の方が吸入量を調整してくれ「カプチーノはなぜか夏と冬で設定を変えないと調子が悪くなる方が多いんですよ」と言った。話をしていると、どうもこのディーラーはカプチーノ乗りの人がよく預けていくそうで、自然とカプチーノに強くなったとか。営業さんも「ああっ、あのめっちゃ綺麗なカプチーノの人」と言って寄ってきた。この色はうちじゃ出せない色なんで、とても印象が深かったとか。ちょうど12ヶ月点検もあり、ここで予約をお願いし、来週日曜にきっちりと見てもらう事に決めた。最初はお金の話は出なかったが、点検も兼ねて出しますので、きっちり見てやって下さい、とこちらからお願いした。

土曜日。
友人を訪ねに行った帰り、夕方から雪が降り出したので、早く帰らないとヤバいと思っていた。タイヤはノーマルだし、名阪でのスケーティングも思い出されて、あれ以上の積雪でしかも峠道では正直コントロール出来ないと思った。山に近づくほど雪は積もりだし、正直どこかのガソリンスタンドかカー用品店でスタッドレスに換えるか、戻るかと思った。しかしカー用品店は無く、タイヤを扱ってそうなガソリンスタンドも見つからないまま、スキー場が近くにあるような峠道にさしかかった。戻るという選択肢も、戻る最中に雪でスタックしそうで、しかも翌日には予約した点検もあると思いなおし、道路が水でとりあえず雪の排水を行っていたので、それを信用して進む事にした。当時、すでに場所によってはアンダーフロアに雪があたり、フロントスポイラーは雪かき状態でもあった。今思えば愚行も甚だしいと思う。山の中腹でトンネルに変わり、雪の無い道路を満喫して、トンネルを抜けた。その先はゆるい右の下り、そして橋がかかっていた。まったく雪の排水はされず、速度はきっちり落として進入したつもりだったが、トンネルを抜けたとたんに滑り出し、対向車線をゆっくりと車体をスピンさせながら回って行った。正直、ここは回るままに任せて、対向車線側でハーフスピンが終了、そのまま戻ってトンネルの中間地点でやりすごすしかない、と考えていた、その時。ダンプがホーンを鳴らしながら対向車線を登ってきた。こちらはハーフスピンの途中。助手席側のウインドウを通してダンプのドライバーを見たが。相手のドライバーはハンドルを切る事も出来ずに硬直した表情で突っ込んできた。実はダンプのドライバーの行動は正解で、直進しないとダンプが横転の危険があった。それを理解し、しかしスピンに任せていてはダンプを避けて対向車線を超えて登坂車線に抜ける前に激突すると確信し、アクセルを煽って、強制的に車体をスピンさせた。緩慢なハーフスピンから完全に対向車線を走行する姿勢に一瞬もどり、そのまま走行車線をスピンしながら戻っていって、回っている最中にダンプが脇をすり抜けた。よく当たらなかったと本気で思ったが、そのままでは相当な速度がついたまま橋の欄干に助手席側からぶち当たって谷底に落下する、と自覚し、なんとかそのままスピンを持続させて走行車線側で止まろうとカウンターステアを当てながらアクセルをコントロールしていたら、スピンの途中でフロントが激しく何かに激突し、乗り上げて、欄干の手前50cmぐらいで静止した。
なんと、高さ20cmほどの歩道があったのだ。それがスピン中には理解できないぐらい、雪は積もっていた。現状を確認し、走行できないと判断して、警察に連絡。たまたま通りがかった人がJAFの委託業者だったので、レッカー移動をお願いし、好意に甘えて代車を貸してもらい、四駆の軽で自宅まで帰った。雪道にスタッドレス、それにアルトの生活四駆とはいえ、四駆はすごいと思った。カプチーノはまたもフロントが大破してしまった。前回より室内が壊れなかったのは、ひとえにロールゲージのおかげだった。

日曜日、ディーラーに代車で行き、カプチーノが事故現場に近い整備工場に入っている事を告げた。整備と営業の方は、ただ身の安全を喜んでくれ、現場まで車を引き取りに行ってくれた。所長にバレると内緒、という事で無料にまでしてくれた。
赤カプの修理見積もりは75万を超えた。全損が90万だったので修理するか悩んだが、雪の恐怖と、周りから乗るのは止めてほしいと言われ、結局は金を取る事にした。75万も修理して、ちゃんと走る様になるのか不安も強かった。赤カプは友人のつてで板金工場に引き取ってもらった。こちらもそこそこの金になり、結局買った価格に近い金額が帰って来た。赤カプを売ったのにはもう一つ理由があり、実は継続してずっと車のローンを払っていたのを、ここで一度清算したいと思ったのだ。残りのローンをすべて支払い、手元に35万が残った。次の車はとりあえず、この範囲で買う事にしよう、というのが自分の思いだった。

二台目のVRリミテッドは憧れと書いたが、この三台目カプチーノは清算だった。
買って後悔した事は無かった。この車なら全てが許せた。
短い期間だったが、前のカプチーノでやりたいことを、全てやったと思った。
絵に描いたチューニングは最初から出来上がっていた。積極的にオープンにもした。赤カプからは近所に行く事も苦痛では無かった。渋滞は嫌だったので、相変わらず臨機応変な移動手段を利用したが、少なくとも行きたくても行く気になれない、というマイナスな気持ちでは無かった。
青カプを失って、分身を失って、立ち止まった自分が、赤カプを手に入れて動き出したと思った。
VRリミテッドは立ち上がる勇気をくれて、赤カプがやり直しをさせてくれた。
赤カプは全てをプラスにしてくれた。そして出来た自分があった。だから、赤カプにはさよならと言えた。別れがクラッシュだったのは申し訳無かったが、俺は赤カプに乗って、そして別れて、やっと青カプからも卒業したと思った。
残滓の念は無かった。
付き合ってくれてありがとう、ただそれだけだった。

2003年、3月。
免許を取った目的を終えて、車選びは迷走する。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

二代「ロードスターVRリミテッド・コンビネーションA(NA8C)」

ロングツーリングに楽な車にしたい。

父親が使っている駐車場と入れ換える事も決まっていたので、車のサイズにこだわる必要もなかった。とはいっても、車両保険+αで買える金額、正確には100万前後が限界だったので、中古車に頼るしかなく、さまざまな車を見て回った。CR-Xやシビックあたりから始まり、RAV4とかのRV系まで見て回った。とにかく、カプチーノとは違う車でいこうと思った。
その中で一台、いいな、と思って話を進めた車がある。ユーノス500のマニュアル車だ。本当はもう一台、ランティスセダンの流麗なラインも好きだったが、こちらはどう探してもマニュアル車が見つからなかった。
ある程度話を進め、そこでオヤジの反撃にあった。家の前の駐車場が狭く、当時乗っていたスプリンターの全長4280mmでは縦列に入れるのが苦痛なのだ。実際、きっちりとは入らない。日常性を考えれば全長4mでも苦しいと思っていたのだから当然である。最初は家の前だから楽だと言って使っていたが、一ヶ月もしないうちに音を上げて、駐車場入れ替えの話は無しになった。
当然、ユーノス500の4500mmを超える全長は入らない。
一気に話は流れてしまい、選べる車種も全長4mまで、という条件になってしまった。

この頃になると、自分が車を選ぶ基準と言うのが見えだしてきた。
一つ、ボンネットが運転中に見えること。
一つ、エクステリアが綺麗なラインを描いていること。
一つ、走りが期待できる車であること。綺麗なライン、というのがクセモノで、これを求めだすと全長4m以内に納まる車種は無かった。それに、最初はどんな車でもいいと思っていたが、時間が経つに連れて、カプチーノのような車に乗りたい、という気持ちが膨らんでいった。

そんな頃。
ある中古車雑誌で、一台のロードスターを見つけた。ユーノスロードスター・VRリミテッド・コンビネーションA。
実をいうと、普通のロードスターにはとんと興味のなかった俺だが、この車だけは別だった。発売当時、ちょうど免許を取るころに発売されたこの限定車は、コンビネーションBと併売される珍しい限定車だった。このコンビネーションBは、学生時代からお世話になっている関東の先輩が新車で購入し、金があるなら俺がコンビネーションAを買って一緒に走りたいね、と言っていた車だったのだ。もちろん、カラーリングと内装のマッチングが綺麗で、車単体としても当時相当に惚れていた。いわば、憧れの存在だったのだ。

そのような訳で、尼崎の友人と二人でロードスターを見に行った。
くだんのVRリミテッドはちょっとシートがヤレていて、少しどうかな? という印象だった。それより困ったのが、隣にカプチーノが展示してあったのだ。正直、これには心が動いた。どちらも試乗させてもらったが、当然の様にカプチーノの方が手足のように走らせられる。即断が出来ず、結局どちらも見積もりを書いてもらって帰って行った。価格差はほとんど無かった。

一週間、悩みに悩んだ。
さまざまな理由を付けて、どちらかに選ぼうとした。
車庫の問題、税金などの維持費の問題、同じ車にするのか、憧れた車にするのか。特に、同じ車にするのか、という問題では、だったらなぜ前のカプチーノを意地でも修理して乗らなかったのだ、という気持ちになった。車の買い物はそう「失敗した」と買い換えられるものではないという気持ちが、余計に判断を鈍らせた。正直、体調が悪くなるほどだった。

一週間後、結局決めきらないまま中古車屋に行き、そこで決める事にした。もう一度両方を試乗し、悩みに悩んだ末に、憧れの車、VRリミテッドを選ぶ事にした。言ってからも本当に良かったのかと反芻したが、どうしても、カプチーノには出来なかった。

それから二週間後、車を引き取りに中古車屋に行った。
カプチーノはもう売れて無くなっていた。VRリミテッドには、店の人曰く「頑張っていいタイヤ履かせました」と、グリッドIIを入れてくれていた。前のカプチで事故った時のタイヤだ。踏ん張りはいいが、鳴くより先に滑るので、もう履くまい、と思っていたタイヤだった。まさに因縁だ、と笑った。友達にも笑われた。
VRリミテッドは、車庫にギリギリだった。しかし、意外と苦痛では無かった。幌屋根は扱いが面倒かと思ったが、内装も含めて買ってすぐにきっちり隙間の泥出しやワックスかけをしてやると、見違える様に綺麗になった。自分の手で憧れの車が憧れた色合いを取り戻していくのは、すごく嬉しかった。

ただ、中古車屋の整備不良と、マツダディーラーの対応には困った。買ってすぐにエンジンがかからなくなり、どうしたのかと思ったら、バッテリー端子が外れていた。5月になって暑くなり、ACを入れるととたんに熱風が吹いた。まいったと思いディーラーに行くと、ACを繋ぐハーネスが、カバーが外れていて濡れていたとかで、ドライヤーで乾かして、「これで走ってみてください」と言われた。
奥の方で整備士がえらくその営業の人に噛みついていたが、その時は理解できなかった。走り出してすぐに判った。車がまともに走ってくれない。1~2気筒死んでる様なありさまだった。しかし一端、渋滞している道路に出てしまった手前、バックも出来ず、ひたすら煽って繋ぎ、なんとかディーラーに戻った。営業の人は言う「やっぱり駄目ですか」さすがに腹に据えかね、無償修理させた。整備の人が「だって、あれ」と言っていたのは、この事だったのだ。

しかし、初期のトラブルさえ克服すれば、VRリミテッドは俺をとても満足させてくれた。特に良かったのが、気軽にオープンに出来る事だった。カプチーノのように三枚に分割してトランクに収納するのとは大違いだった。カプチーノでも慣れれば1分で出来るようになる、とネットで知り合ったオーナーさんには言われたが、最後まで自分ではそのタイムは出なかった。また、走り味もとても良かった。カプチーノのようにどこか危なっかしいまでに旋回するのとは違っていて、曲がる、止まる、がとても当たり前の様に気持ちよかった。エンジンの高回転域の吹け上がりだけはダルかったが。ただ、カプチーノから乗り換えた当初は、ボディの重さを実感していた。ブレーキングでフロントノーズがズシっとダイブする、その感覚が驚きだった。荷重をかけすぎてハンドルを切っても曲がらない時があった。今から思えば、当たり前の荷重移動が、当時は出来ていなかった。カプチーノに甘えていたし、カプチーノしか知らなかった。
夏には、関東の先輩とVRリミテッドコンビでツーリングも果たした。カラーリングでコンビネーションAとBとなっていたが、まさにその名前の通りになった。この時、車を交換してみたが、同じ車で同じノーマル車なのに、ずいぶんとペダルの感触が違っていてお互い驚いたのを記憶している。車の癖はあるのだと思った。

秋から冬にかけても走りまくった。
でも、どうしても物足りなかった。
この車は、俺を守ってくれている、危険を教えてくれている、と感じた。
この車の限界より手前で危険を知らせてくれて、安定した走りをさせてくれている感じだった。逆に言えば、限界を引き出す事が出来なかった。それはたとえばブレーキがロックしたり旋回中にオーバーやアンダーになるような単純な一つの限界ではなくて、これ以上はロードスターでは不可能だ、というような限界で、だ。
とても居心地のいい空間ではあったけど、なんだか違うな、と感じ始めたのはこの頃だと思う。

春、ロードスターの任意保険を払って、目を剥いた。
カプチーノの三倍の保険料がかかった。
正直、これは耐えられないと思った。毎日紙と電卓で計算しては、損益のラインを引っ張りだして、買い換え時期を見計らっていた。来年の車検までには買い換えよう、と腹を括った。
軽とは保険が違いすぎる、と回りに買い換えを考えていると言い出した。

5月3日。
ネットでIRC中に、新潟の友達に「すごい車あるで」とURLを教えてもらった。中古車情報WEBに繋がったそのページは、キャンディレッドに塗装され、まるで夢の様なチューニングを施
された、一台のカプチーノだった。

そんなすごいカプチーノ、きっとまともな状態じゃないに違いない。自分がやりたかった、馬力アップだけでなく冷却系まできっちり手を入れたカプチを見て、あぁ、この程度なんだ、と納得すればいいや、と思って見に行った。
店では、黙ってじっくり見させてくれた。試乗もOKだった。なんでも、見に来る人はたくさん居るんだが、誰も手を出せなくてずっとここにあるのだそうだ。車はトヨタのディーラーの整備士が趣味で買ってコツコツと手を入れていたが、トヨタ車を買わざるを得なくなり、泣く泣く売りに出したのだという。知り合いという事で軒に置いてると、整備手帳も見せてくれた。ずっとトヨタの整備が入っていた。ここにいけばオーナーに会えますよ、とも。

乗ったカプチは、とんでもなかった。まず、ハンドルが重い。そういや限定以外は重ステなんだ、と思い出した。そして加速。暴力的だった。事前にチューニングの内容を聞かされていたので、推定で80~100psぐらい出ていると思う。特にトルクが乗ってからはとんでもない加速感だ。そして曲がらない。まったくフロントが沈まない。ガチガチに足が固められていて、こんなの峠に持ち込んだらどこに飛ぶか判らない、と思った。おまけにスズキスポーツのロールゲージが入っていて、ただでさえ狭い室内はさらに狭くなっていた。おそらく170cm以上の人が乗り込めば、ゲージで頭を打つだろう。とんでもない車だった。こんな車、確かに誰も手を出さない。値段が100万近い事も拍車をかけた。チューニングの費用だけでそれぐらいはいってそうだが、だったらノーマルを100万で買った方が安全だ。全塗装されて輝く赤になっているのも尻込みさせる理由の一つだろう。
ロードスターの乗り味を知っていた俺としては、冷静に、このカプチはヤバイと思った。
逆に言えば、自分がやりたかった事の結果は、こういう事なのだ、と。

店の前にカプチーノを止める。
寄ってきた店のオーナーに声をかけた。
「この車、ヤバイっすよ」
「え? それってどういう」
「俺のやりたかったこと、そのままです。これ下さい」

値引き交渉もまったくしなかった。店側から引いてくれた。他にもフロントバンパーの傷みを全塗装してくれた。ロードスターは85万で売れた。
差額は高いパソコン一台分ぐらいしかしなかった。二年かからずに元がとれそうな値段だ。


VRリミテッドとは、一年強の付き合いだった。最後に鳥取の方まで走りに行き、そこで最高速をマークして、軽く自分の限界域まで攻めてみて、つくづく、この車は俺を守ってくれていたんだと思い知らされた。
懐が深く、裏切らないその走り。どこまでも自然な感じだった。

振り返って前のカプチーノを自分の分身だと表現したが、この車は、憧れだったと思う。
一目見たときから惚れて、一緒になっても、見た目通りの素敵で優しい車だった。
でも、素敵な人が、自分に合った人とは限らない。優しい人が好きになるとは限らない。
憧れと、一緒に居るのは違うのだ、と思った。
逆に言えば、一年付きあっても我が侭も言わせられなかった。ただただ、守られ、許された。
たった一つ、苦痛だった事は、その間自分が背伸びをしていた気分だった。
それだけだろう。

2002年、5月。
俺は、憧れを振り切った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

初代「カプチーノ(EA11R)」

ヘルメットを被らずに、バイクに乗れればいいのに。

高校一年の夏休み。
河原でみんなで原チャリを転がしていて、公道を堂々とノーヘルで走ってみたいと思った。当時、バイクといえば特攻の拓が大ウケで、CB-1やスーパーフォアなどのネイキッドが流行り、車と言えば中嶋や亜久里が日本人ドライバーとして参加し、セナとプロストの対決、つまりF-1がすべてだった。
ゲーセンではバーチャレーシングかストリートファイターIIをやりまくり、夢はゲーム会社に就職。
斜視で遠近感の無い自分では、車の免許は取れないと思っていた。

浪人時代。
ろくに勉強もせずに、ゲーセンに入り浸る。
毎日高校時代の同級生か、予備校の同級生とゲーセンに行く。
そんな日課を重ねていたある日、何気に交差点で止まっていた車を目にした。その車は、軽自動車より遥かに小さく見えた。屋根が無かった。まるでカートのようだった。友達全員に聞いたけど、どこのなんという車か判らなかった。ただ、すごいと思った。声に出して言った。
「こんな車が公道を走ってていいんだ」
初めて、車の免許を取りたいと思った。

就職三年目。
免許を取りにいった。所内教習は速度超過で落とされたが、それ以外は順調にいった。
車を選ぶ作業に入っていた。
浪人時代に見た車はイメージだけで、どこのどういう車か結局判って無かった。職場の同僚二人に、NA6Cロードスターと流面系セリカを買い取らないかと言われた。でも、食指が動かなかった。
この当時の俺の家は、自宅の駐車スペースが軽自動車ぐらいしか入らなかった。それも整地して、だ。
正直、こんな難しい所に縦列で入れるのは、免許取り立ての俺には入れるのが嫌だった。もう一つ不安もあった。どうにもならないほどの方向音痴。歩いてなら自由に方向が変えられるけど、車ではそうはいかない。これは自動車教習時代に嫌というほど実感した。

でも、軽自動車で欲しい車は無かった。アルトワークスはなんか嫌いだった。他の走りそうな車もなんかかっこが嫌だった。パジェロミニは高かった。座ってみていやになった。

ある日、中古車雑誌で軽自動車のスポーツカー特集、というのをやっていた。
そこで、浪人時代に見た車を見つけた。
スズキのカプチーノ。
へぇ、日本車だったんだ。
特に限定車の青色が気に入った。なんかシャチっぽかった。たぶん、それだけの理由だったと思う。
スズキ自販の中古車ディーラーにお願いし、他府県から取り寄せてもらって試乗させてもらった。運転するだけでいっぱいいっぱいだった。ターボの加速感に圧倒された。視界の低さにびっくりした。教習所のクレスタとは何もかも違っていた。そんないっぱいいっぱいの状況だったけど、まるであつらえた服のように収まりのいい感じがして、これが俺の車なんだ、と思った。当時、雑誌に載っていたような変な交渉術を試してみたように思う。ディーラーにとっては嫌な客だったろうな、と思い出すたびに苦笑する。
でも、乗ってすぐにこれだけ言った。
「これ、下さい」
それから交渉したって遅いのに。

それから車が来るまで二週間ほどかかった。誕生日に合わせて納車してもらった。納車してもらったはいいけど、駐車場から出すのが怖くて、数日ほっといていた。もしかすると一週間以上かもしれない。それぐらい、当時の俺には駐車場と、そこから出る道路がタイトだった。

最初は、真夜中の1~4時頃を選んでドライブしていた。どんなに道路に出すのがまごついても、恥ずかしく無いように。事実、あちこち擦った記憶がある。10cmも旋回を失敗すると、ちょうど意地悪な位置にあった電柱に擦ることもあったので、本当に車庫の出し入れは嫌だった。
擦るたびに、悲しくなった。夜中にドライブしていたのには、もう一つ理由があった。地元の道をありったけ走って、とりあえず迷子にならないようにしたかった。でも、車で行ける範囲はとても広くて、結局覚えられなかった。高校時代の同級生がよく同席してくれたが、そんな時は奈良でも丹波でも滋賀でも行けた。

数ヶ月がたって、他の同級生と天保山の方へドライブに行こう、と言われた。
昼間に走らせるのはほとんど初めてだったのですごくドキドキした。
路駐すら要領を得ず、迎えに行ったものの、待つのが嫌だった。
横に乗り込んでもらうと、ちょっと落ち着いた。
昼間に見る世界は、なんだかすごく広くて、オープンにしていると気持ちよくて、初めて良さを実感した。
でも、阪神高速はとんでもなく怖くて、左右から車が入り乱れて、怖くて泣きそうだった。
帰りは全部、同級生に運転してもらった。行くだけで気力がつきていた。

ネットの友人たちが家に遊びに来ていて、2グループになって三重の友人宅に行く話になった。おだてられて車でついて行ったはいいが、帰りのルートがどうしても理解できず、結局三重の友人に同乗してもらって、京都までナビをお願いしてしまった。今から思えば、すごく単純なルートだ。でも、当時の俺には100~150kmという距離だけでもう一杯一杯な気持ちだった。
そして、カーナビを買おうと決めた。

カーナビは、自分で取り付けられるものに決めていた。
理由は割と単純だった。近所のオートバックスはすごく駐車場が出し入れしにくて、交通量も多く、あんな所に昼間に行くのは絶対嫌、だった。
この頃になると、一つの自分的イベントが発生するたびに、鬱になっていた。
なんで車なんて買ったんだろう、と。夜中にこそこそと出て、片側一車線の道を選んでドライブする。峠道の運転ばかりが上達していった。車を洗おうにも、車庫から動かすのが億劫で、それになんだか気恥ずかしくて、ずいぶんとさぼっては適当に水洗いしていた。洗い方もよく判らなかった。それまで家に車がなくて、付き合い方のすべてが初めてだった。当たり前にやってる事が当たり前ゆえに誰にも聞けず、ところが車が珍しいので触っていると近所の人たちはみんな見ていって、そこであたふたとやっている姿を見せるのが、すごく嫌だった。

カーナビはデルナビという九州松下のナビにした。最初は助手席からバーを出して取り付けていたけど、助手席に座る人が苦しそうだったので、すぐにダッシュボードに取り付けるタイプにした。これは本当に、目から鱗だった。現在地が判るだけで、こんなにも安心するんだと思った。正直、ナビゲーション自体はどうでも良かった。適当に走ってても、間違った所を走ってても、それがどこか判るだけで十分だった。
深夜に一人で走る場所が広がった。
でも、やっぱり昼間は走らなかった。

そのうち家が引っ越しになり、
そうして一年半が過ぎ、
俺は仕事のストレスで胃腸を患った。
この頃になると、車には見向きもしなかった。思えばストレスが増えるだけだった。
入院から療養、職場復帰までは数ヶ月もかかった。
最後は給与が出なくなって、このままじゃ生きていけないと思って無理やり復帰した。
入院から療養していた頃、たくさんの友人知人が見舞いに来てくれた。
特にネットの友人になると、三重や長野の方からも来てくれた。
AZ-1で来た長野の友人は、そのままストレス解消と言ってドライブに連れ出してくれた。
三重や名古屋の友人は、名古屋モーターショウまで引っ張ってくれた。シビックtypeR乗りな友人とは、人数オーバーとかで、リアトランクのスペースに座って乗った記憶もある。患者をこんな所に乗せるのか、とずいぶんと楽しませてもらった。

職場復帰を果たし、晴れて外に出れる様になって、数ヶ月ぶりにカプチーノのキーを捻った。
一発でエンジンがかかった。
涙が出そうだった。
フロントウィンドウは泥やホコリで前も見えなかった。
これからは、ちょっとずつでも昼間も走る様にしよう、と思った。

それからは、ロングツーリングが一つの目標になった。長距離を走れば、嫌でも昼間にも走る事になる。その頃、道の駅というのがいろんな場所に設置されているのも知る様になり、長距離を走ってもなんとかなるという安心感に繋がった。
まずは鳥取の友人に会いに行ってみよう。そう思って、片道300kmの距離を走った。ひたすら国道九号を走り抜けた。途中でオープンにして走ったりもした。自分一人でオープンにして走ったのは、これが初めてだった。市内の渋滞道路とは違って、とても気持ちが良かった。丹波から日本海側を走るのは、この後、自分がツーリングをする上で趣味の道になった。

山陰側に慣れると、次は新潟は小千谷の友達に会いに行くのが目標になった。新潟は片道500~600kmもある。さすがにすべて下道という訳には行かなかった。でも、小千谷には美味い蕎麦が多いと聞いた。この頃になると、その道を走ってみたい、そこの名産を食ってみたい、といういろんな目標が出来る様になった。そうして走っていくたびに、カプチーノとの一体感を得られる様になった。ドライビングの一体感ではなくて、一緒に旅をしている、という一体感だった。
退院してからの2年ほどで、箱根や戸隠、小千谷は年に2~3回も足を運んだ。山陰地方は回数も覚えていない。一日で山口県は秋吉台を往復したりもした。きっちり鍾乳洞とカルスト台地は観光してきた。出発から24時間以内で帰って来たから、一日、なんてムチャな話だった。一週間で3000kmを走り、オイル交換に行ったら、店の人に驚かれた。

それでも、やっぱり近所への昼間の運転は苦手だった。
この苦手意識だけはどうしようも無かった。旅先に出てしまえばなんてことは無くなるのが、悔しかった。それと、車に対する不満も出てきていた。ロングツーリングを重ねると、どうしても車内の騒音が苦しくなった。100km/h当たりで、もう音楽が聞こえなくなるぐらい音が激しくなる。一日で500km以上のツーリングを数日こなすと、帰りの道中は耳がジンジンしていた。シフトノブの振動もけっこう激しいので、必要な時以外はシフトノブを触らなくなった(これはいいことらしい)

もう一つの転機は、三重の人たちと夜中にバーベキュー(と敢えて言っておく)をした時の事だった。ビート乗りの人と意気投合し、カプチーノとビートでバトルになった。ビートの性能を考えれば、後追いのカプチーノが負ける事も無いのだが、ルートを知らないハンデもあって、いいバランスでの走りとなった。
でも、そんな事はどうでも良かった。誰かと一緒に本気で走って、カプチーノの本当の力というのを初めて理解した気がした。自分が思っていた所よりずっと先に限界があるようで、もっと先、もっと先を、というように攻めて行けた。
その後、WRX RA乗りの友人にドライブをさせてもらったが、こちらはカプチーノやビートが必死になって走り抜けたルートを、苦もなくもっと高いアベレージで、それこそリミッターがガンガンかかるような速度で走っていけた。しかも怖さも何も無かった。ある意味、バトルの後で感覚がマヒしていたのかもしれなかったが。信号待ちで止まったら、当時は雨だったため、フロントのキャリパーから前が見えなくなるほど湯気が上がってきた。車の性能が走りを左右するというのも、実感した。でも、これは同じ車で力量が違わない無い限り、誰でも勝てるような気がした。それほどのスーパーウエポンだった。

そうして、カプチーノをもっと好きになり、もっと早く、楽しく走らせる為にチューニングしてみたいと思った。
リミッターを解除して、ブレーキパッドを交換した。
そんな12月24日未明。
峠で、自爆した。

峠の登りでヘアピンだった。10kmも出てない状態で、ゆっくりと旋回をした。その時、後輪が何かに乗った感じがして、いきなり後輪が抜ける様に滑り出した。フロントがどんどん谷側に向いていき、このままでは落ちると思った。ブレーキは踏めない。踏めばそのまま滑り落ちると実感した。落ちて転がれば屋根の弱いカプチーノは潰れるだろう。24日は約束もあった。死んで連絡が取れないのはマズい。こんな夜中に家族に連絡されるのも。ただそれだけだった。怖いというより、とりあえず迷惑だ、とだけ思った。ハンドルを山側に切り、アクセルをいったん抜いて、そこから踏み直した。トラクションがかかって一気に山側へスピンしてくれた。回りきって助手席側から山肌に当たる。うまくやればあたらずに止まれる、と思った瞬間、山側の側溝に前輪がハマりそのまま宙を浮く様に飛んでフロントが大破した。シートベルトをしていたにも関わらず、俺は額をハンドルに強打した。
語れば長いが、一瞬の出来事だった。エンジンが止まったので、なんとか抜け出せないかとキーを捻ると、エンジンが怒った様に吠えた。あわてて切った。怒られた気がした。
額が切れて血が流れていたけど、自分では判ってなかった。場所が悪く、PHSでは連絡が取れなかった。たまたま後ろを走ってきた車の男性に携帯で連絡してもらい、対抗車線を走ってきた車の女性に介抱され
た。血で汚れるから、と断っても、気にしなくていいからとハンカチで額を押えてくれた。
ただただ、申し訳無かった。
そうしているうちに、救急車がやってきて、運ばれて行った。

カプチーノは全損扱いになった。
修理しても真っ直ぐ走らないと言われた。
レッカーしてくれたディーラーへ荷物を引き取りに行き、カプチーノを見て、呆然とした。フロントが半分ほどになっていた。ダッシュボードも歪み、もう少しエンジンが押し込んでいたら、足が潰れていたかもしれなかった。
自分の未熟な運転のせいで、仲間を失った思いだった。
それなのに、自分はかすり傷だけですんだ。
助けられたと思った。

回りから、普通の車に乗ってくれ、と言われた。
自分もそうした方がいいと思った。
修理を諦め、手元に車両保険の保険金だけが残った。

後から思う。
仲間ではなく、分身を失ったのだと。
自分と向き合うための鏡のような車だった。
苦手な所は見たくない姿でもあり、上手い所は自慢したかった。
何度も買った事を後悔し、何度もこの車で良かったと思った。
ただ、どんな時も自分の車だと言えた。
飾らない等身大の姿だった。
成長した分、返ってくる車だった。
よく表現されるような、恋人のような車では無かった。

2001年、1月。
次の車を探し始める。

| | コメント (7) | トラックバック (0)